崇徳上皇怨霊伝説「白峰神宮」

~京都の怨霊・魔界・百鬼夜行を伝説とともに歩く~崇徳上皇怨霊伝説「白峰神宮」

崇徳上皇怨霊伝説「白峰神宮」

崇徳天皇は、「雨月物語」にも怨霊として登場する悲運の天皇。

鳥羽法皇の二人の息子である崇徳上皇とその弟の後白河天皇との主導権争いから保元の乱となる。

鳥羽法皇は亡くなるときに、祖父(白河法皇)の子との疑念がある崇徳天皇を疎み、没後は崇徳天皇の弟の後白河天皇に国政を行うように遺言した。

崇徳天皇は、これに不満を持ち武力で後白河天皇を除こうとした。

これが保元の乱(1156)。

しかし、戦いに敗れた崇徳天皇(第75代)は失脚、讃岐国へ配流される。

京都への還幸を願われたが叶わず、憤怒の姿のまま長寛2年(1164)、46歳にてその地で崩御された。

遺体はその地の白峯山陵に奉葬されました。その後、朝廷は天皇が葬られた白峯陵の前に、天皇を白峯大権現として祀る御影堂を建立。

このころ京都では、多くの異変が相次いで発生。

これらは失脚された上皇の怨念による祟りとされ、怨念を鎮めるために上皇の御影を祀る御影堂や粟田宮(建久3年(1241))を建てて慰霊に努めました。

粟田宮は長い年月の間に幾度も水害や戦火に遭いながらも再建され室町時代まで存続しているが、応仁元年(1467)に焼亡以後に荒廃した。

「崇徳天皇御廟」を再興。

これが現在の「崇徳天皇御廟」の前身。

慶応2年、孝明天皇が、当神宮の創建を幕府に命じたが、崩御。

その後、その子・明治天皇が、父帝の意志を継ぎ、社地を公卿飛鳥井家邸地に定め、飛鳥井家邸内社を地主社とし、讃岐から崇徳天皇の神霊を迎えて神宮に鎮祭。

境内の地主社の祭神・精大明神が蹴鞠の神様ということで、サッカーに御利益。



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